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  <title>ARTIST SPEAKS</title>
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  <title>ARTIST SPEAKS</title>
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  <description>ご挨拶  芸術が私の心に一撃を与え、 今まで気づかすに閉ざされていた 心の門が開いた。 そこには、触れたことがない程の大きな宇宙があった。 そして、そこは果てしない愛で満ち溢れていた。  私は、もはや一人ぼっちじゃなくなった。 私は、全宇宙のすべてと繋がっていたんだ。  その時初めて私の魂の存在を認識した。 魂は果てしなく大きくて、とても温かかった。 その感覚が何故かとても懐かしかった。  喜びで私の頬に涙の粒が零れ落ちた。 生きていることが本当に尊く思われた。  人の心を愛に還元し、 人間界の言葉の世界を超越した 超純粋な力を持つ芸術が この世に稀に存在することを知ったのだ。  安達　木綿子    芸術家はなろうと思ってなるものではないと思う。必然とでも言うのだろうか、芸術家になることが生まれ持った私の使命だったから、今の私がいる。芸術家とはそういうものだと思う。  肉体を開放し、人間から人間への純粋な魂へのメッセージとしてのアートを感じてくれる人々と出会うため、そして、作品を通して、自分を含めた人間の本質を目覚めさせるために、私は真の芸術制作を体験し、その作品を発信していきたいです。  コンピュター画面上では、実際の作品の質感、絵の具やメジウムの立体感、筆の動き、光の当たり具合によって変わる色の発色など、全く伝えることができない情報が沢山ありますが、この現代の交流手段を通して、私の作品を生で見たいと感じてくれる人と出会えたら幸いです。  このサイトに足を踏み入れてくれてありがとう。   英語版サイトwww.YUKOADAHI.com</description>
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  <description>芸術と私  芸術を制作することは、私にとっては自分の魂の死活問題です。作品を作らないと、私の心は死んでしまうように生まれてきたので、今世では、芸術家になるしかなかったようです。だから、与えられた命の時間を無駄にしたくない。作品制作過程を通じて、私自身、魂を込めて作品を作るとはどういうことなのかを知りました。それは、愛を形にすることでした。それを体験した瞬間、とても暖かい大きな永久的な愛に包まれて、私は自分の作品なのにそれを見ながら、はっとして泣き出してしまいました。生きるということは、辛いことも一杯ありますが、毎日の魂の成長の発見ができる、美しい喜ばしいことも沢山あります。それに感謝です。ちょっと心を広げて世の中を見渡すと、すべてが愛の形として現れます。歪んでいても、そこには、愛があります。でも、真っ直ぐな愛がいいですよね。みんなで、頑張ろうよ！そっちの方向に進めるように。  一生の間に、芸術家として、そして、人間として、私が想像し得る範囲を超えた真の精神的成長の過程を体験できることを胸に抱き、私自身、自分という人間がなんであるのか、どういう人間なのか、今後どのように成長していけるのか心に希望を持ちながら、現在進行形で模索しながら生きています。それが私の精一杯です。私が現時点で想像できる人間に与えられた精神的な進化の可能性は、この宇宙の広さと深さと比べたらきっとすごくちっぽけなものだと思うから、今後の私がどうなっているのか、はっきりとは想像できませんが、現在は、主に油絵を中心に感性と想像力を頼りに作品制作をしています。   どれだけ魂を込めて作った作品でも、この世の物理的に存在するすべてのものに当てはまる様に、いづれ私の作品も私の肉体と共に朽ち果てて消える日がくる。そんな物質的なものにどうして私はこんなにも一生懸命エネルギーを注ぐのか考え込んだ時もありました。  そして、答えは見つかりました。  私は作品を通して、物理的、物質的な境界線を越えた精神性に観る人の意識を移動して欲しいということ。私の作品が単に人間の精神と自身をつなぐ切っ掛けである役割を果たしていること。そして、今、私が作品を作って、それを今、幸運にも観てくれる人がいれば十分だということ。あとは、私がコントロールできることではないのだから。今、この瞬間を自分の全エネルギーで一生懸命生きることが大切なんだと思う。  作品は私の成長の鏡です。私の作品が、見る人の心に触れることができ、私たち人間と私たちが生きる地球、そしてすべての宇宙の生命体が繋がっていることを感じてくれたら本望です。私は、筆が握れて、色が見える限り、私の一生涯を作品を制作することに投じたいと思う。芸術が、人間の心を潤い、我々人間本来みんなが生まれ持った無垢な心に触れる瞬間を与えることで、個々の魂が目覚め、世の中の役に立つことができると信じています。  命さん、今日も沢山の愛をありがとう！これを読んでくれた方にも、沢山の愛を送っているので、感じてください。 ............  ARTIST SPEAKS  Art is a universal language of the souls and it has been helping us foster our spiritual evolution since our existance on earth. I believe creativity was given to mankind not only to remind us that we humans are spiritual beings but also to provide us  to experience the infinite love and eternal spiritual freedom we all own at our hearts, which transcends the time and the space we live in.  Looking back at all the artistic achievements of human history, the spiritual endeavor of mankind to express themselves through creativity and imagination touch me deeply. It fills my heart with hope to witness our innate need for communicating in a space of consciousness where a language does not exist and interfere with our pure state of being.   I hope that my works act as a catalyst to break the unconscious mental boudary that humans carry and that the visual stimuli will enable the viewers to open up the reception of the energy flow within us and beyond. I work in many different styles and I want to stay that way as long as I can be creative and trust myself.  Just like art, music and books have enriched my spiritual growth, I want my work to be a part of encouragement and discovery of beauty and strength for the growth of inner life within all of us.  Thank you for visiting my website. I am wishing you a wonderful day.      </description>
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  <description>芸術論  「言葉から考える今日の人類と芸術の関係、そして私」　  言葉にはできない、ならない世界を美術を通して表現する者として、言葉と人間との関係、言葉以外の人間の表現力と言葉との関係について考えるのは、ごく自然のことのように思われる。人間は精神、そして肉体を持ち合わせた高尚で、時によっては愚かにもなりうる複雑な生き物だと思う。私は、精神世界を無視して現実の物理的な感覚だけをたよって生きたりできない人間なので、私にとって芸術は、私自身の魂の死活問題になってしまう。人間が精神的に健全に生きていく上で、芸術が言葉では捉えられない日々の現実や体験を人間同士に伝える役割を担っていると社会が認識し、その重要性を人類が再確認した時に人間が行き着くＳｐｉｒｉｔｕａｌな境地は、想像を絶するユートピアなのではないかと思っている。その時点から、今後の芸術に求められる役割はさらに人類にとって重要になってくると思う。そして、人間の精神にとって、真の芸術が不可欠ともなる素晴らしい日もくるかもしれないと、私の胸は希望で躍る。私は、その日を夢見て、そして、この現代にも肉体を離れ、頭で理解した仮の現実や世界感を打ち破り、人間から人間への純粋な魂へのメッセージとしてのアートを感じてくれる人々と出会うため、そして、そういうことを気づかせるために、私は、人間界で命が続く限りの魂の全エネルギーを芸術に捧げるために生まれてきたと実感している。  人間同士が共存していく上で、最低限の意思伝達をする方法として言語が生まれ、それぞれの社会形態の需要に応じて単語が誕生してきた。以前までは伝えることができなかった曖昧としていたある現象、ある心理状態、ある感覚も、初めて時代が成熟することでそれらに漸く焦点が当てられ、新しい言葉が生み出されていく歴史が繰り返されてきたのだと思う。それらは、長年フワフワとした感覚的に人類が捕らえていたものが、一般的に一つの現象や実態として認識され、単語として新しく表現されるところまでやっとたどり着いた画期的な小さな文化・精神革命だとも言える。そうした経緯は、学者だけに限らず、その時代を生きている一般市民の意識が新しく生まれる言葉の意味を理解し、その言葉を要求する知的精神的基盤を設けたことで、その言葉の需要度を生み出したからだと思う。そして、その言葉の普及率も自然と上がっていき時間を掛けていずれ社会全体に行き届く。それと同時に、一方では、急速に発展しつづける科学技術に呼応した新しい発想、発明などが日常においての人間の伝達の混乱を避けるために新しい言葉となって社会に潜り込んでいく。つまり、言葉を包括した言語という一つの媒体は、ただ単にコミュニケーションの道具としてではなく、それが形成された文化を鏡のように映し出していることが理解される。その点から言っても、言語は伝達機関とは別にその社会の文化的、精神的な成熟度を提示する二重の役割を担っているのが分かる。  さて、次が問題となる。芸術について語ろうとした場合、まず、直面する事実は芸術を表現する十分な語彙がまだ現代の言葉に存在していないということだ。例えば、一連の芸術に携わる感情や現象を文章としてなんとか述べることができても、芸術家が体験する「普遍的な」ある感性や感覚、または作品を作成している時に味わう神秘的空間や体験を表現する言葉、作品を通して他の人間と精神的繋がりをもった状態などを独立した単語として伝えることが出来ない実情に突き当たる。これは、人類の発展と言葉の発達の関係から考えた場合、現代に生きる人々が一般的に理解できている芸術の在り方と本来芸術が打ち出していける人類進歩のための潜在的な芸術の役割、またその威力への理解との位置関係が成熟段階に達していないことが読み取れるように私には感じられる。しかし、それも無理もない事だとも思う。というのも、長い人類の歴史を振り返ってみると、芸術家が魂の表現としての芸術を探究し、それを視覚的なメッセージに作り上げ、自由意志のもとで作品を発表することで生計を立ててきた歴史は非常に浅く、そして、そういう風なことができるようになったのもごく最近の話だからだ。そして、一般的に、現代の美術が達成している目標は、まことの芸術のあり方を追求する歴史が未熟な為と、現代においての資本主義社会と目まぐるしい情報戦争の中で、芸術が金銭的な成功への欲望に摩り替えられ、作品の神秘性、精神性、文化性、社会性に魂が注がれていない芸術が世に紹介されている。そこには、本来芸術が求める人類発展のための貢献と成果はほとんど無く、この風潮が人間と真なる芸術の位置関係をさらに広げてしまうと思うと、なんとかしなくては、と私は落ち着かなくなってしまう。私にとって芸術とは人間を愛に還元する媒体そのものです。私たちは、みんな、愛でできています。芸術は、本来、そんな生命と愛のつながりを思い起こさせ、人間が共にこの空間を共存していることを認知し、共に与えられた命を祝福することでこの生命体の中で愛を分かち合って生き残っていくための表現方法なのです。  密な人間関係が稀有になってしまったこんな時代だからこそ、いまこそ真の芸術が到達できる精神的革命意識に目覚めた芸術家たちが本領発揮する時だと思っています！時代に流されず、現代の人びとの心を芸術で結ぶために数多くの芸術家が今後たくさん現れることを私は待ち望んでいます。そして、自分の使命を信じ「人間と精神世界を結ぶ」芸術、「社会にポジティブなエネルギーを送ることができる」芸術、「生きていることへの好奇心が刺激される」芸術、私たちを「愛に還元してくれる」芸術を作り出すことに命を捧げる同胞の魂にエールを送りたいです。そして、この場をかりて、私にたくさんのよいエネルギーを与えてくれる素晴らしい作品を生み出していってくれているほかの芸術家に感謝すると共に、私自身、素晴らしい人びとに芸術を通して出会う機会を得てきたことに心からの「ありがとう」がいいたいです。みんながいるから、頑張れる、本当にそうです。どうもありがとう。私は、人間がみんな大好きです。この宇宙が好きです。人間はみんな、精神的な生き物です。みんな、みんな人間は純粋なんです。  沢山の愛を込めて 安達　木綿子 2006年　２月  </description>
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  <description>　芸術論  「本物と偽物を見極める」   長いので時間と集中力のある時にお読みください（笑）。  現代というすべてがお金を得るための競争社会になるように仕組まれている資本主義の世界は、物質的にある社会階級の一握りの人が桁外れに裕福になっていく一方、社会全体を見渡した時、人間の精神面、文化面の野蛮化、退行化を奨励しているかのように思われる時代である。私は、特に、そのような風潮が強いアメリカにいるのでさらに敏感にそう感じるのかもしれない。でも、他の地に行っても多少差はあれ、それを同じように感じてしまう。  日々の過剰な不必要な情報量に人々の精神が磨耗され、人は自己の価値基準より業者やメディアが植えつける価値基準に耳を傾けるようだ。知らない間に人間の価値感の基準が、物欲に摩り替えられて歪められていく。こういう時代に、本当に芸術家の才能と魂を世に出すことを真剣に考える画廊を見つけるのは、至難の業だ。  「人がアートだと言えば、それはアート。」  そんな言葉を耳にした。とても、心が痛かった。 アートの根本たる存在理由がそこまで格下げされてしまったのだろうか。 そして、もし、人はそれを疑問にも思わないとしたら、現代人の目と心は節穴になってしまったのだろうか。  芸術は、観る人の主観がものをいうのは、確かだ。どんな素晴らしいアートに何も感じない人だって、ごみをアートと呼ぶ人だって結局は、観る人の主観で結果的にその人が目に入った対象物の価値を決めている。でも、作品を観る時のあなたの価値基準はあなた自身の素直な気持ちですか？それとも誰かにそう感じるように言われたのですか？と聞いてみたくなる。作品を見るとき、邪念を振り払い心を空にし、濁りの無い心の目で観ていますか。有名画廊に置いてあるから本物＝人類すべてと分かち合いたい歴史に残る素晴らしい作品だとは限らない。    正直言って、画廊に行くのは、あまり好きではない。  具合が悪くなるのが落ちである。  私の目と心は騙せない。   大方芸術家じゃない人を相手に、魂よりお金を優先した芸術家の作品が目立つ現代アート界。本物じゃない作品をアートだといい、人にそれを売る。作家ももはや、芸術家ではなく、ビジネスマンになり、生き残りの為に売れそうな作品を作る。そういう作品が氾濫する作品群の中では、受け継ぎたい精神は残念ながら見当たらない。次世代に残したい魂も見受けない。そのとき、私の心は、一瞬迷子になる。   本物の芸術を自分で見極める力を得なければ、虚無な情報の波に飲み込まれてしまう。常に、本物と偽物を見極める感性を研ぎ澄ましていたい。、本物と偽物を見極めるのは、自分の責任だから。本物の芸術の役割は、本来お金で買う、買わないの目先の金銭のやり取りの次元の世界ではない。心で感じ、観ることに意味がある世界。それは、崇高なる魂の世界であり、宇宙と繋がっている自分の存在を諭してくれることを私の心は知っている。</description>
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  <description>芸術論  「立証と直感と芸術の関係」　  ここでは、「本物と偽物を見極める」と重複する内容もでてくるので、既に、あちらを読んで下さった方は、よっぽど興味が無い限り、これを読むのがしんどくなると思います。ここでは、芸術と宗教の類似性に重点を置き、人間の直観と立証の関係について述べています。   「本物と偽物を見極める」の文章を書きながら、世の中にアートの域に本来入らないはずのアートが充満し、それらがあたかも重要な作品であるかのようにアート界で注目される不思議な現象とその絡繰について考えた。  「芸術なんて、全然分からないので。」と口にする人がいる。  人間ならば直観的になんとなくでも芸術がなんであるか、どうあるべきなのか本当は分かっているはずだと私は信じています。  目にする芸術と称される作品が自分の理解する芸術とは全く違うから、混乱しているのであれば、その「混乱」は、芸術を理解していないからではなく、まさに、その人の心が現時点で受け付けなかった作品だからなのだと思う。直感は、それを知っている。そして、それを素直に受け入れればいいのだと思う。そして、心が成長する余地があることを知っていれば、その作品をもう一度数十年後に観た時に、心が動かされることもあると思うし、その時点でも、やはりその作品が無意味なものに感じるのであれば、その作品が偽物の芸術だったと判断した自分の直観の正しさを認識することになるのだと思う。または、未だにその作品を受け入れる程自分の心が熟していないかのどちらかになるのではないかと考えた。でも、本当にいい作品は、いづれ心を打ちます。芸術との付き合い方は、自分に成長の余地があることを認識した上で、今の自分の直観と直感を信じることから始まると思う。  忙しい毎日の生活で自分の感性を育てる時間を省くこととなったために自分の感覚的な判断に自信を失った人や、自分の魂の存在理由を考えたり、それに触れる機会が無かった人などが芸術界の餌食になってしまうように見える。宗教界で言えば、神がなんなのか全然分からないと言っている人たちを導き、啓蒙し、そして場合によっては、自分の利益になるように洗脳する余地が沢山あるのと同じように、アート界も人間の心の直観や真実から相反した方向へと人を欺くことができる。だから、「人がアートだと言えば、それはアート」なのかと言えば、それは全く違う。でも、自分の直観を信じていない人は、その言葉を代わりに信じてしまう。そこが、アート界での要注意点である。まさに、アートは、宇宙とか、神とか、人間の直感と体験の世界で、それは言葉で定義できるものでは無い領域に入る。だから、精神世界を無視した「人がアートだと言えば、それはアート」などというとんでもない理屈をこねる余地がでてくるのだと思う。  私が知っている真の芸術とは、人間の心の世界を物理的に具現化したものです。そして、単なる視覚的な、そして物理的な刺激でありながらも、それは、我々の魂が潜在的に馴染み深いと感じることができる真実の空間に連れて行ってくれる、精神世界への入り口。人間の魂は、非物理的な存在であり、人間は、言葉では定義できない多くの真実を知っています。だから、真の芸術作品に触れたとき、それが本物かどうか直観で分かるのだと思う。そもそも、芸術は、何が芸術であるか「言葉」では「立証」できない空間なので、それは当たり前のことだけれど、その立証できない神聖なる領域を逆手にとり、芸術ではない芸術で一儲けしようと考えた人には、この業界の弱みを見つけたことになる。  芸術界では、「人間が感じる」ことができる機能、人間が生まれ持って授かった感性と知性をことごとく否定した作品があたかも本物の芸術のように存在し得る。それは、神と言う存在は、科学で立証できない限り、存在しないとまで言う人も出てくるのと同じ類の分野に入る。つまり、真っ向から精神世界と直観を信じていない人間が大多数に上れば、芸術も言葉によって説得された上で理解しようとするので、芸術の発想に頭から盲目的に追随し、感性を無視した偽芸術があたかも真の芸術であるかのように存在するようになるのだと思う。魂のこもっていない偽物アートも、見分けられなくなってしまう。しかし、人間は、そもそも精神的な生き物であることを忘れてはいけないというのが私の立場です。直観を否定し、精神を忘れた芸術は、もはや、作る方も、観る方も偽物同士になってしまう。   芸術作品が本物の芸術かどうかを判断する時、個々の主観と感性に判断が委ねられる。それは、目で見た世界を通り越し、言葉でくくれる世界も通り越した、まさに感覚と体験の世界です。作品は、飽くまでも、人間の、聖なる精神的空間に行きつく為の入り口にすぎない。芸術は、神と違って物理的に目の前に形として実在するけれど、作品を通して体験できる幅が、まさにその作品が真の芸術かそうではないのかを決めると思う。芸術も、私たちが神なる宇宙を包括するパワーの存在を心で感じるように、まさに宇宙に通じる人間の感性と直感を信用した、つかみ所の無い存在である。  より多くの作品に馴染み、沢山の作品に触れることで、自然と見る目が養われ、心も熟す。それ故に、以前「分からない」つまり、なにも心にピンとこなかった作品も、今観たら「分かる」、何か感じることが出来る作品になる可能性も出て来る。自分自身の成長によって、芸術を見た時の反応も変わる。それは、ごく自然なことだが、日頃から素直な心で先入観無しに作品を観れば、素晴らしい作品が自ずと分かる。その時分からなくても、どこか気になる作品として覚えているはずです。芸術は、ある意味で生きています。素晴らしい作品は、こっちの心の準備ができていたら、多くを提供してくれる。そして、真の芸術が我々に与えてくれる世界観は、立証できるものではないです。   「芸術なんて、全然分からないので。」 なんて言わないで欲しい。  今、自分が感じたこと、それを素直に受け入れればいいと思うから。 アート業界の宣伝に惑わされては、いけない。宣伝の通りの感想を抱かなくてもいいのだ。  自分の心の成長を見守りながら、自分の声に耳を傾ければ、ある日、真の芸術と出会った時に、大きな愛情であなたの心を包んでくれる時がくるでしょうから。 </description>
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